中嶋さん、おめでとうございます。
オリンピックや格闘技は別として日本人を初めて世界の最高峰の舞台に連れて行ってくれた人は中嶋悟さんだ。初のF1レギュラードライバーであり現ナカジマレーシング総監督である。1987年に伝説となったアイルトン・セナと共に名門ロータスからのブラジルグランプリのデビューシーンは今も鮮明に覚えている。野茂さんが大リーグに渡ったのは95年、サッカーで中田さんがヨーロッパに挑戦したのも今世紀に入った2001年だ。F1の世界は煌びやかで政治や経済、スポーツマンシップと人間模様が絡み合いながらも世界を転戦するというそれまで知らなかった魅力的な世界だった。34歳にしてルーキー、体力的には頂点を過ぎていたであろう彼だったが若い頃からのステディに車をいたわるレース運びは健在。どうしても運が味方してくれない結果が続くなかでもTVインタビューにも悪びれず遠く高いところを見詰めるように淡々と語る彼は私だけでなく判官びいきの多くの日本人がなんとか彼を表彰台に上げたい、上がって欲しいと願っていたに違いない。しかし夢は叶わず91年雨のオーストラリアグランプリでリタイアして潔くレーサー人生に幕を引いた。「夢をありがとう」と書かれた日の丸が何旗もはためいて・・・。あれから17年、当時目の前でおもちゃで遊んでいた長男の一貴君があのオーストラリアからデビュー、物語の第二章が始まった。あの日の空とはまったく違う晴天のなか父のデビューと同じ7位でフィニッシュを果たした。その後の裁定で6位のバリチェロがシグナル無視のペナルティで6位繰り上げとなったがそれはおまけ。爽やかな笑顔で森脇さんのインタビューに応える姿を見て久しぶりに涙がこぼれ落ちそうになったな。
中嶋さん、おめでとうございます。
2005年のゴールデンウィーク、F1開催を図ってリニューアルされたフジスピードウェイの杮落としでスーパーGTが開催された。「父を超えたいと思います」あっさり言うなよ、お前の親父は誰だと思ってんだぁ・・。
一貴君は300クラスのドライバー、父の悟さんはエプソン・ナカジマレーシングの監督として同じサーキットに立っていた。父が見詰めるストレートを全開で駆け抜ける。彼の視線の先にある1コーナーには美しい虹がかかっていた。
七つの光りを超えていく二世の姿を監督はあの深い海のような目で見詰めていた・・。
今年の10月12日、彼はF1マシンでこのコーナーを駆け抜ける。


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